年収ラボ

下がってるねー。


サラリーマン平均年収の推移


この年収ラボってすごい。
たいていの会社の平均年収がわかる。


例えば銀行業界だとこんな感じ


職業別ランキングはこんな感じ。


1位 パイロット 1,238万
2位 医師 1,159万
3位 大学教授 1,122万
4位 大学助教授 871万
5位 警察官 813万
6位 弁護士 801万
7位 公認会計士 791万
7位 税理士 791万
9位 公立高等学校教員 776万
10位 記者 772万


大学教授が3位で助教授が4位?しかも大学講師が11位?
ほんまかいな。かなり感覚と違うけど…。しかし職業で平均取るとそうなるんか。
平均っていう統計の取り方の無意味さ(トリック)を感じるなー。
実際は大企業サラリーマンのほうが絶対年収高いのにね。

妄想小説

日本の腐敗した政治状況に憤った若者たちが、226事件青年将校なみに決起してテロを起こし、日本の政治家を暗殺しまくって日本の中枢を乗っとる、という小説や漫画を書いたら面白そうだけど、誰かそういうの書かないかなぁ。

すぐに鎮圧されると思いきや、テロ集団が発表した檄文が共感を呼び、ネットを中心に国民から熱狂的支持を受けるようになる。しだいに官僚・警察・自衛隊からも支持者が出始め、日本は大混乱に陥る。皇居を占拠して皇族を人質にとるために他国もうかつに手を出せない。さあどうなるか!?みたいな。

実はテロの黒幕はエリート官僚と若手政治家。国政の現状に憤り、不満をもつ一般市民を集めてテロへ駆り立てる。資金面でそれをバックアップするIT企業の社長たち。ネットハッキングで政府中枢を乗っ取り、首都機能を分断。次第に大物政治家にもなびく者が現れ始め… と妄想は続くなぁ。。

まぁ実際にそういうテロとかが起きかねない雰囲気があると思うんですよね、今の日本には。これだけ政治が信用を失ってるとさ。この鬱屈した社会状況と、それに対する国民の怒りをぶつけたテロルの噴出を、小説とか漫画で描ければすごく面白い作品ができると思うんだけどなぁ。

不謹慎な話だけれど、いま誰かが大義を掲げて菅首相を暗殺しようとしたら、結構それを支持する国民も出てくるんじゃないだろうか。そういう物騒な雰囲気が今の日本にはある。そういうテロが現実に起きる前に、才能をもった誰かがそれを文化に昇華しておいて欲しい。でないといつかこれが冗談でなくなる。

http://twitter.com/#!/windupbirdmoba

消費税引き上げに賛成?反対?

民主党増税路線がはっきりしてきました。


◆ 所得・相続税増税、消費税10%明記 一体改革最終案
http://www.asahi.com/politics/update/0617/TKY201106170250.html


先日の日記で、脱原発路線の賛成/反対とともに消費税増税の賛成/反対で、民主党自民党の政策対立を分けたらいいのではないか、と書きました。すなわち消費税引き上げに賛成なら民主党派(左派)、反対なら自民党派(右派)に分かれたらどうか。

民主党自民党の区分が嫌なら、共産党or社民党みんなの党or立ち上がれ日本、なんでも構いません。要は、政策論議を盛り上げるために、あえて議論を単純化して、左/右に分かれてみたらどうですか、という提案です。


ここでいう左/右は、大きな政府/小さな政府の意味です。
大きな政府=高福祉高負担
小さな政府=低福祉低負担


もちろん現代社会ではこんなに単純に、左=大きな政府/右=小さな政府、と分けられる訳ではないのですが、ひとつの思考実験としてあえて単純化して考えてみます。

たとえば僕は左寄りの政治理念をもっており、「小さな政府」よりも「大きな政府」の方が、成熟社会日本にとってふさわしい政治のあり方だと考えているので、消費税引き上げやむなし、そのかわり、社会保障や福祉を充実させてくれ、と考える立場をとります。

これに対して、右より=大きな政府派の人なら、この状況で消費税を上げるなんてとんでもない、よりいっそう景気が冷え込んで、官僚たちの利権が増えるだけだ、消費税を上げる前にもっと行政のムダを削れ!あるいはリフレ政策をとって脱デフレを図り、ムダな規制を取り払って市場を流動化し、経済成長を目指せ!話はそれからだ、という風に主張するかもしれません。


僕は個人的には後者の考え方にはまったく賛同しませんが、そういう風に考える人がいてもいいと思いますし、実際にそのように考える人が多くいる(経済学者にも多い)ことを知っています。
で、あとはひたすら議論を尽くして、最終的に多数決で決めればいい。とにかく、まずはそういう風に政策論議の旗を立ててもらわないと、まともな政治が始まりません。



…という日記を書いていたのですが、先週の時点で結局、「社会保障と税の一体改革案」に消費税10%引上げの決定を先送りすることになりそうだというニュースが流れていました。

◆一体改革「消費税10%」先送り…党内反発強く
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110620-00001029-yom-pol


実際のところ、民主党内でも消費税引き上げにたいする反論は強いですし、自民党も消費税引き上げ自体に反対しているわけではありません(ただ時期が今のタイミングではないと言っているだけ)。まぁ結局のところ、消費税を引き上げようとすると国民からの反発が強すぎて、次期選挙でほぼ確実に負けることになるので、どの政党も怖がってなかなか言い出せないのでしょうね。その必要性は分かっていても…。さすがにもう上げないと仕方ないと個人的には思うんだけどなぁ。

日本で二大政党制は成立するか?

今回の原発論争を機に、民主党自民党がそれぞれ以下のように対立的政策をとれば、日本でも二大政党制が機能するようになるんじゃないでしょうか。


民主党

脱原発
・消費税増税賛成
外国人参政権賛成
憲法9条改正反対


自民党

原発持続
・消費税増税反対
外国人参政権反対
憲法9条改正賛成


つまり、民主党が左派政策、自民党が右派政策をそれぞれもっと分かりやすく取れば、二大政党制ももう少し有効に機能するんじゃないかなぁ。というか、これくらいやらないと二大政党制は機能しない。まぁ、こんな風に明確な政策を両党が打ち出すことは現実的にありえないでしょうが…。
もちろん、上の区分以外にも、脱原発派の右派とか、原発持続派の左派とかいろいろな組み合わせがあっていいし、それぞれの組み合わせに応じて新しい政党ができればいいんですけどね。

というか、本来はこういう政策の軸にしたがって、政治家がそれぞれの政党に分かれるべきなんだよなー。いろいろなしがらみがあって、そんな風にはできないのでしょうが。小沢一郎がずっと狙っている大連立とかも、大連立じたいが目的というよりは、それを機に党派をガラガラポンして、政界再編することが一番の目的なのでしょうが、まぁ現実的には難しそうですね。
結局、日本の政治でまともな政策論議や二大政党制は成立しない(結局、政治家どうしの人間関係や派閥的なところで政治が決定されていく)ということなのでしょうか。

そう考えると、近年の日本政治で政策論争が成立したのは、良くも悪くも小泉政権のときだけだっということになるので(郵政選挙とか格差論議とか)、小泉純一郎という政治家は日本政治史のなかで本当に特異な存在だったんだなと改めて思わされますね。

twitter=マルチチュード?

ネグリの名前を出すと大抵の人に「マルチチュードなんてどこにいるの?」と聞かれるのだが、例えばtwitterのTLはマルチチュードそのものではないかと思う。twitterを通じて行われた反原発デモなどはまさにマルチチュードの典型だろう。<共>な問題関心をキーとして集まった有象無象。

そのような社会運動のあり方をどう評価するかはともかく、「マルチチュードなんていない」という理屈でネグリを一蹴するのはもはや不可能ではないか。もちろんtwitter通じてデモに参加した人がみなネグリ主義者ということではない。しかしむしろそのような多様性こそがネグリの意図したものだったはずだ。

…というような理屈でネグリ主義とインターネット民主主義をもっと積極的に結びつけようとする論者はいないのだろうか。twitterマルチチュードは非常に相性が良さそうだけども。あえて言えば濱野智史さんが触れているか。アクチュアルな論点なのでぜひ自分がこの領域を開拓したい。

twitterマルチチュードを結びつけて語ると、「twitterマルクス主義的に解釈するな!」と言われてしまいそうだが、むしろマルチチュードマルクス主義イデオロギーから解放して解釈したい。ネグリマルチチュード論はもっと柔軟にインターネットと関連して論じられるべきと思う。

もちろんインターネットと民主主義を関連づけて論じる文脈はこれまでにもたくさんあったわけだが、twitterがこれまでのインターネットツールと異なるのは「島宇宙化された集団を共通のネタを媒介してつなぐ機能」(東浩紀)をもつことだ。この「つながり」機能こそがマルチチュードを生成する。

つまり、特異性をもった人びとを<共>の関心のもとに結びつけ、<帝国>に対抗する有象無象の集団=マルチチュードとして顕在化させるのではないか。このとき群衆はひとつの大きなうねりとなるが、その中で個々人の特異性は失われていない。ただその特異な人びとを媒介する<共>がある。その<共>のインフラとなるのが、例えばtwitterのようなインターネット・アプリなのではないか。

もちろん僕はtwitter至上主義者でもインターネット至上主義者でもない。数年後にはtwitterに代わる新しいインターネットサービスがまた出てくるんだろう。しかし現在twitterがこれだけ盛り上がっている背景にある欲望は、つまりネグリマルチチュードに見ていた欲望と同じ種類のものではないか。

個々人の特異性を保持しつつ、潜在的な群衆(マルチチュード)の<共>を顕在化させる機能。それによってアドホックな社会運動を生成し、<帝国>=グローバル資本主義&生権力的主権に対して単発的に抵抗攻撃を放ち続ける。その群衆のうちにいる個人は、それぞれの倫理観や義務感から<帝国>への抵抗運動を起こしているというよりも、そのことが彼らに生の欲動を満足させるものであるからそうしているのだ。

ということを夜中にtwitterでつぶやきかけて、長くなりそうなので久しぶりにこちらのブログに書いてみた。あくまでアイデアのラフスケッチ(メモ)です。
twitter民主主義論はよくあるけれども、ネグリマルチチュード概念と結びつけてtwitterを語る論はまだあまり見かけない。マルチチュードなんて一部のマルクス主義者のいうユートピア的な議論だと思われている。そしてネグリ論者たちもこのムーブメントをうまくつかみきれていない。この隙間をついて両者を結びつける論を展開してみたいものだ。

『思想地図β』の挑戦が意味するもの

思想地図β vol.1

思想地図β vol.1


東浩紀が創刊した『思想地図β』が発売20日で3刷が決定し、2万部を突破したそうだ。これは雑誌不況の昨今、言論誌としては異例の部数だ。しかも『思想地図β』は広告などを一切出さず、東浩紀がほとんどひとりでtwitter上で宣伝つぶやきを続けた結果、これだけの部数に達したのだからこれは言論界にとっては重大事件である。中身はともあれ、「もはや言論誌は売れない」という常識を覆してみせたからだ。

もちろん売れた原因のなかには、その内容に関係なく東浩紀個人のファンが買ってるだけとか、年明けの朝生で宣伝した効果が大きかったとか、雑誌中のアニメ絵(?)のファンが買ってるだけだとか、いろいろ言われていて、散々に批判されていもいるのだが(たぶん)、そういった批判はおそらくあまり重要ではない(少なくとも東浩紀本人にとっては)。とにもかくにも、いち批評家がいちから立ち上げた言論誌があっという間に2万部売れた、という事実が重要なのである。


いち批評家が立ち上げた、と書いたが、正確には東浩紀が中心となって立ち上げた合同会社コンテクチュアズ、が立ち上げた雑誌が『思想地図β』である。つまり、東浩紀はこの『思想地図β』を創刊するためだけに(もちろんこれからそれ以外の活動も展開していくのだろうけれど)、自分たちで会社を作ってしまったのだ。もはや既存の出版会社に頼らず、自分たちで企画・執筆・編集・営業・流通までやってしまおうという意図だ。現状の言論誌や出版業界の枠組みの中では、自分たちがやりたいことはいつまでたってもやれない。ならばいっそ自分たちで会社を立ち上げて、好きなように言論誌を作って、シーンを変えてやろう、というのが東らの意気込みだろう。そして、その意気込みは今のところ狙い通りに進行している。

ご存知のように、東浩紀twitterのヘビーユーザーだ(中毒と言ってもいいのかもしれない)。本人も繰り返し、twitterは自分向きのメディアだ、という発言をしている。既存の枠組みを飛び越え、東浩紀本人と彼のフォロワーがやりとりをすることも多い。そのやりとりから新しい企画のアイデアが生まれ、東がそのアイデアを取り入れたり実行に移したりすることもある。そのひとつの実践例が、「コンテクスチュアズ友の会」という試みだ。年会費8000円を払うことで、『思想地図』を購読するとともに、会報「しそちず!」も読むことができ、会員限定イベントへの招待や会員証の発行などの特典を受けることができる。つまり、アーティストのファンクラブの仕組みを言論誌にも取り入れたという異例の取り組みだ。

「コンテクスチュアズ友の会」会員は現在1500人近くに達し、2000人も射程に入ってきた。たかが1500人といっても、年会費は8000円だから、会費総額では1500×8000=1200万円にもなる。会報などのコストをまかなっても、これだけの資金だけをもとに次号を創ることは十分に可能だろう。アーティストのファンクラブならまだまだ大変かもしれないが、出版業界にとってはこの額は大きい。新しいビジネスモデルの誕生である(言論界にとっては)。


東浩紀が以前から繰り返し言ってることは、

出版界ではここ数年、著名な雑誌の廃刊・休刊が相次いだ。
論壇誌では「諸君!」「現代」「論座」、男性誌では「BLIO」「PLAYBOY」、女性誌では「主婦の友」「Cawaii!!」「PINKY」、漫画誌では「週刊ヤングサンデー」「コミックボンボン」「月刊少年ジャンプ」、文化誌では「広告批評」「STUDIOVOICE」「ROADSHOW」、情報誌では「ぴあ関西版」「TOKYO1週間」「KANSAI1週間」「Lmagazine」など。
この出版不況の波のなかでは、もはや言論誌など売れない、と暗澹たる気持ちになるのが普通だ。しかし、東浩紀は自身の著名度と人脈、twitterというメディア、そして自身の思想でもって、ほとんど独力でひとつの言論誌を立ち上げ、2万部まで流通させてしまった。「やればできる」ことを自らの身をもって示してみせた。コンテンツ内容への評価は別として、これはやはり凄いことだし、言論や批評に関心をもっている人々にとって、ひとつの希望であると思う。


東浩紀の取り組みを支持する人は、彼についていけばよい。あるいは同種の試みを自分で起こしてみるのも良い。また「あんなのダメだよ」、と批判する人は文句ばかり言っていないで、自分で雑誌を作ってみたらいい。そういう人に対して東は言うだろう。「じゃあ、あなたがやればいい。あなたが思想地図を凌駕する言論誌を作ってみてくれ」と。
実際に、最近ではインディーズのミニコミ誌やカルチャー誌、言論誌などの発行数が増えてきている。これだけPCとインターネットが普及する時代になると、自分たちの手で雑誌を作ることはさほど難しいことではないし、思ったほどお金もかからない。その気になれば、自分たちが理想とする雑誌で『思想地図』に戦いを挑むこともできるのだ。芹沢一也荻上チキらが立ち上げた「SYNODOS」、西田亮介らが立ち上げた「.review」などがその好例であろう。

「一億総表現社会」と言ったのは梅田望夫だったが、現在では既存のメディア・言論環境に文句を言うだけでなく、自分たちで意見・情報を発信することのできる条件は整いつつある。あとはやるかやらないか、だけである。これまでの言論・批評メディアに対しては、読み手は「つまんねーな、もっと面白いもの作れねーのかよ」と文句を言うしかなかった。しかし、現在では「じゃあお前が作れ」と言われる環境が整ってしまった。それをしない以上は、実際に身を削って雑誌を創っている者へ文句をいう資格はない。というのは言いすぎとしても、それならやっぱり(中身は多少つまらなくても)実際に雑誌を創ってるほうが偉いよ、ということにはなるだろう。


そしてこれはとてもいい状況なのだと思う。梅田望夫が『ウェブ進化論』の中で述べたように、これまで雑誌を発行したり雑誌に寄稿したりできるのは、大手メディアに属する人々か、それらの人々と繋がりのあるごく限られた人々だけだった。しかしIT環境が整った現代では、我々は自分たちの手でメディアを立ち上げ、世界に向かってそれを発信することができる。実際にそれを行動に移すかどうかは別として、それを実行する条件のハードルは一昔前に比べて格段に下がっている。そのメディアはもちろん雑誌という形態でなくても良いだろう。ブログでもtwitterでも個人のwebサイトでも新聞でも書籍でもアート表現でもデモ活動でも路上パフォーマンスでも何でも良い。今や誰もがそれらの表出・表現活動を行うことができる。

この状況のなかで、出版不況ばかりを嘆いていても、既存のメディア批判を繰り返していたり(もちろん『思想地図』への批判も含む)、アカデミズムの衰退を憂いていたりしても仕方がない。現状に文句があるならば、自分でその状況を変えるための何らかの行動を起こすしかない。このようにブログに思いのたけを書き綴るのでもいいし、twitterで社会や世界を変えるための発言をつぶやき続けるだけでもいいだろう。それを見た誰かに何らかの影響を及ぼすかもしれない。そしてそのような実践を先取りして実行に移してしまった時点で、やはり東浩紀という批評家は偉い。個人的には『思想地図β』の内容には不満もあるのだけれど、そんな不満を通り越して、この言論誌を発行し、2万部流通させた彼の行動力に賛辞を送りたい。そして、内容への不満は、僕がこれから別の媒体で自分自身の発信を行っていくことで解消するしかないだろう。


僕自身も友人が創った『Art Critique』というインディーズ雑誌に寄稿し、彼の活動を応援している。もちろん『Art Critique』は今のところ規模的に『思想地図』と並ぶべくもないが、その内容においては負けていない部分もあると思う(それはもちろん僕の力ではなくて友人の力によるもの)。勝手な思い込みかもしれないが、そのように思い込めるような発信を自分たち(の身近な人)が行っているという事実は大きい。このような状況が新しく言論・批評界隈を変えていけば、これまでになかった面白い展開が待ち受けているのではないか、と個人的にはとても楽しみにしている。普通に考えれば、人文系の未来なんて絶望的なの状態なのだけれど、下を向いて文句ばかり言っていても仕方がない。前を向いて、せめても自分たちで必死にあがいてみるしかないではないか。そうしてあがいてみせるなかで、意外に明るい展望が見えてくるかもしれない。少なくとも東浩紀と『思想地図β』はその可能性を実演してみせた。現代に生きる我々もその後に続くほかはあるまい。

自己啓発本はなぜ流行るのか?

この前の続き。BRUTUS1月号で面白かったもうひとつの記事は速水健朗さんの自己啓発本ブームを取り上げたもの。


BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]


記事によれば、昨今の自己啓発本ブームは1990年代のアメリカで始まったものである。資本主義のグローバル化、金融中心化の影響を受けて、アメリカの中流層の多くがリストラによって下流層へ転落し、格差が拡大した。そんな彼らが頼ったのが宗教であった。90年代以降、メガチャーチと呼ばれる超大型教会が急増し、仕事や生活を奪われつつある人々に対し、「信じれば救われる」といったわかりやすい教義を掲げることで、多くの信者を獲得した。これらメガチャーチには「宗教保守」が多く、ブッシュ共和党のアフガン・イラク戦争を強烈に支持したことでも知られる。
メガチャーチについて http://www.mapbinder.com/Map/World/USA/Info/MegaChurch.html


メガチャーチが掲げる「信じれば救われる」という教義=ポジティブ思考のルーツは、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』(1937)であると速水はいう。この本は、願望は考えるだけで叶うというもので、カルヴァン主義の現世利益を願ってはならないという重苦しい教えの反動から生まれた民間信仰である。この「思考(願い)は現実化する」という信仰は、現代の自己啓発本ブームの中でも最もメジャーなもののひとつ(ポップ心理学)になっている。


思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき

思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき


そんなアメリカの「ポジティブ思考」が日本に本格的に輸入されたのは、デフレ不況、非正規雇用の拡大という局面を迎えた90年代末のこと。ポジティブ思考は、不況下において人々の不安が高まっている時期に浸透しやすい。そもそもナポレオン・ヒルが流行した30年代は世界恐慌後の不況の最中であったという。

つまり、ここ20年間の自己啓発本ブームの背景には、長期不況、格差拡大、失業率の増加など社会不安の高まりがあったということが分かる。さらにそのルーツがアメリカの宗教右派、さらには厳格なプロテスタンティズムの反動から生まれた民間信仰であるということ、つまり自己啓発とはすなわち「宗教」であるということも分かる。


自己啓発本は「あなたの人生がうまくいかないのは、努力が足りないからではない。成功者だけが知る成功の秘訣をあなたが知らないだけだ」と説く。つまり「努力せよ」ではなく、「成功の秘訣さえ知れば簡単に人生を変えられる」と教える。速水によれば、ほとんどの自己啓発本は以下の3タイプに分類される。


1)願えば叶う。
2)習慣を変えれば人生が変わる。
3)隠された潜在能力を掘り起こそう。


1)「願えば叶う」パターンで2007年にヒットしたのが、ロンダ・バーンのザ・シークレット』。この本は、プラトンガリレオアインシュタインなど過去の成功者たちが、ある共通の「秘密」を知っていたという内容。その秘密とは「引き寄せの法則」と呼ばれるもので、似たもの同士が引き寄せあい、未来について抱く思考が未来を創造する(=「思考は現実化する」!)という法則である。
このパターンを踏襲しているのが、「手帳に夢を記入する」というワタミの渡邉美樹『夢に日付を!』や、熊谷正寿『一冊の手帳で夢は必ず叶う』などの啓発書。手帳と啓発書をセットにして売り出すことで、双方の売上アップを実現するというビジネスにしてしまうあたりはさすが。


ザ・シークレット

ザ・シークレット

夢に日付を! ~夢実現の手帳術~

夢に日付を! ~夢実現の手帳術~

一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法

一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法


2)「習慣を変えれば人生が変わる」の代表は、スティーブン・R・コーヴィの7つの習慣。96年の刊行以来、今でも版を重ねるロングセラーになっているという。このパターンでの最近のヒットは、昨年流行した『新・片づけ術、「断捨離」』や『夢をかなえる「そうじ力」』などの「お掃除系」なのだという。興味深い。この分野のカリスマは、イエローハットの創業社長、鍵山秀三郎氏の『掃除道』。トイレ掃除を続けると真人間になるという宗教(信仰)だそうだ。自己啓発本ではないが、昨年ヒットした「トイレの神様」もこの系統に含めてよいのだろう。


7つの習慣-成功には原則があった!

7つの習慣-成功には原則があった!

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」

人生カンタンリセット!夢をかなえる「そうじ力」

人生カンタンリセット!夢をかなえる「そうじ力」

鍵山秀三郎「一日一話」―人間の磨き方・掃除の哲学・人生の心得

鍵山秀三郎「一日一話」―人間の磨き方・掃除の哲学・人生の心得


3)「隠された潜在能力を掘り起こそう」の近年の代表は、勝間和代だろう。『無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法』や『勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレーム』など。さらに「速読術」や「レバレッジ勉強法」、「Google活用術」なども近年の流行のひとつだ。情報処理業界を中心として、いかに作業を簡便かつ効率よく行うかを主眼とした仕事術をライフハックというが、このライフハック自己啓発的なメッセージをブレンドさせたものがヒットしやすい傾向にあるようだ。


無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法

無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法

レバレッジ勉強法

レバレッジ勉強法


このようなポジティブ思考が商品化され、ビジネス書の棚を占拠するようになったのは、たかだかここ10年のことであると速水氏はいう。なぜここまで自己啓発本が人気を呼ぶのかといえば、それはこうした本が知識ではなく「高揚感」を提供してくれる効果があるからだと速水氏は分析する。しかし、「賢い消費者ならポジティブ思考が一瞬のカンフル剤でしかないことにも気づくべきである」とも。

先にも書いたように、自己啓発のもともとのルーツは「宗教」にある。社会の不安感が高まれば、人々は安心を得ようとして、一瞬の高揚感にすがりつく。しかしその高揚感は持続しない。それゆえ、ヒット本に飽きたころに新種の自己啓発本が出てくると、自己啓発的な人々はまたそれに飛びつく。こうして同じような自己啓発本が手をかえ品をかえながら出版され、そのたびごとにそれなりのヒットを生むことになる。このような薬物依存的な構造が、ここ10年の自己啓発本ブームを支えているということなのだろう。

裏をかえせば、ついつい自己啓発本を買ってしまうビジネスマンや主婦たちは、普段からそれに呼応する不安や不満を日々の生活のなかに感じているということではあるまいか。昨今の不安定な国内・世界情勢から察するに、もうしばらく自己啓発本ブームの波は続きそうである。