『思想地図β』の挑戦が意味するもの

思想地図β vol.1

思想地図β vol.1


東浩紀が創刊した『思想地図β』が発売20日で3刷が決定し、2万部を突破したそうだ。これは雑誌不況の昨今、言論誌としては異例の部数だ。しかも『思想地図β』は広告などを一切出さず、東浩紀がほとんどひとりでtwitter上で宣伝つぶやきを続けた結果、これだけの部数に達したのだからこれは言論界にとっては重大事件である。中身はともあれ、「もはや言論誌は売れない」という常識を覆してみせたからだ。

もちろん売れた原因のなかには、その内容に関係なく東浩紀個人のファンが買ってるだけとか、年明けの朝生で宣伝した効果が大きかったとか、雑誌中のアニメ絵(?)のファンが買ってるだけだとか、いろいろ言われていて、散々に批判されていもいるのだが(たぶん)、そういった批判はおそらくあまり重要ではない(少なくとも東浩紀本人にとっては)。とにもかくにも、いち批評家がいちから立ち上げた言論誌があっという間に2万部売れた、という事実が重要なのである。


いち批評家が立ち上げた、と書いたが、正確には東浩紀が中心となって立ち上げた合同会社コンテクチュアズ、が立ち上げた雑誌が『思想地図β』である。つまり、東浩紀はこの『思想地図β』を創刊するためだけに(もちろんこれからそれ以外の活動も展開していくのだろうけれど)、自分たちで会社を作ってしまったのだ。もはや既存の出版会社に頼らず、自分たちで企画・執筆・編集・営業・流通までやってしまおうという意図だ。現状の言論誌や出版業界の枠組みの中では、自分たちがやりたいことはいつまでたってもやれない。ならばいっそ自分たちで会社を立ち上げて、好きなように言論誌を作って、シーンを変えてやろう、というのが東らの意気込みだろう。そして、その意気込みは今のところ狙い通りに進行している。

ご存知のように、東浩紀twitterのヘビーユーザーだ(中毒と言ってもいいのかもしれない)。本人も繰り返し、twitterは自分向きのメディアだ、という発言をしている。既存の枠組みを飛び越え、東浩紀本人と彼のフォロワーがやりとりをすることも多い。そのやりとりから新しい企画のアイデアが生まれ、東がそのアイデアを取り入れたり実行に移したりすることもある。そのひとつの実践例が、「コンテクスチュアズ友の会」という試みだ。年会費8000円を払うことで、『思想地図』を購読するとともに、会報「しそちず!」も読むことができ、会員限定イベントへの招待や会員証の発行などの特典を受けることができる。つまり、アーティストのファンクラブの仕組みを言論誌にも取り入れたという異例の取り組みだ。

「コンテクスチュアズ友の会」会員は現在1500人近くに達し、2000人も射程に入ってきた。たかが1500人といっても、年会費は8000円だから、会費総額では1500×8000=1200万円にもなる。会報などのコストをまかなっても、これだけの資金だけをもとに次号を創ることは十分に可能だろう。アーティストのファンクラブならまだまだ大変かもしれないが、出版業界にとってはこの額は大きい。新しいビジネスモデルの誕生である(言論界にとっては)。


東浩紀が以前から繰り返し言ってることは、

出版界ではここ数年、著名な雑誌の廃刊・休刊が相次いだ。
論壇誌では「諸君!」「現代」「論座」、男性誌では「BLIO」「PLAYBOY」、女性誌では「主婦の友」「Cawaii!!」「PINKY」、漫画誌では「週刊ヤングサンデー」「コミックボンボン」「月刊少年ジャンプ」、文化誌では「広告批評」「STUDIOVOICE」「ROADSHOW」、情報誌では「ぴあ関西版」「TOKYO1週間」「KANSAI1週間」「Lmagazine」など。
この出版不況の波のなかでは、もはや言論誌など売れない、と暗澹たる気持ちになるのが普通だ。しかし、東浩紀は自身の著名度と人脈、twitterというメディア、そして自身の思想でもって、ほとんど独力でひとつの言論誌を立ち上げ、2万部まで流通させてしまった。「やればできる」ことを自らの身をもって示してみせた。コンテンツ内容への評価は別として、これはやはり凄いことだし、言論や批評に関心をもっている人々にとって、ひとつの希望であると思う。


東浩紀の取り組みを支持する人は、彼についていけばよい。あるいは同種の試みを自分で起こしてみるのも良い。また「あんなのダメだよ」、と批判する人は文句ばかり言っていないで、自分で雑誌を作ってみたらいい。そういう人に対して東は言うだろう。「じゃあ、あなたがやればいい。あなたが思想地図を凌駕する言論誌を作ってみてくれ」と。
実際に、最近ではインディーズのミニコミ誌やカルチャー誌、言論誌などの発行数が増えてきている。これだけPCとインターネットが普及する時代になると、自分たちの手で雑誌を作ることはさほど難しいことではないし、思ったほどお金もかからない。その気になれば、自分たちが理想とする雑誌で『思想地図』に戦いを挑むこともできるのだ。芹沢一也荻上チキらが立ち上げた「SYNODOS」、西田亮介らが立ち上げた「.review」などがその好例であろう。

「一億総表現社会」と言ったのは梅田望夫だったが、現在では既存のメディア・言論環境に文句を言うだけでなく、自分たちで意見・情報を発信することのできる条件は整いつつある。あとはやるかやらないか、だけである。これまでの言論・批評メディアに対しては、読み手は「つまんねーな、もっと面白いもの作れねーのかよ」と文句を言うしかなかった。しかし、現在では「じゃあお前が作れ」と言われる環境が整ってしまった。それをしない以上は、実際に身を削って雑誌を創っている者へ文句をいう資格はない。というのは言いすぎとしても、それならやっぱり(中身は多少つまらなくても)実際に雑誌を創ってるほうが偉いよ、ということにはなるだろう。


そしてこれはとてもいい状況なのだと思う。梅田望夫が『ウェブ進化論』の中で述べたように、これまで雑誌を発行したり雑誌に寄稿したりできるのは、大手メディアに属する人々か、それらの人々と繋がりのあるごく限られた人々だけだった。しかしIT環境が整った現代では、我々は自分たちの手でメディアを立ち上げ、世界に向かってそれを発信することができる。実際にそれを行動に移すかどうかは別として、それを実行する条件のハードルは一昔前に比べて格段に下がっている。そのメディアはもちろん雑誌という形態でなくても良いだろう。ブログでもtwitterでも個人のwebサイトでも新聞でも書籍でもアート表現でもデモ活動でも路上パフォーマンスでも何でも良い。今や誰もがそれらの表出・表現活動を行うことができる。

この状況のなかで、出版不況ばかりを嘆いていても、既存のメディア批判を繰り返していたり(もちろん『思想地図』への批判も含む)、アカデミズムの衰退を憂いていたりしても仕方がない。現状に文句があるならば、自分でその状況を変えるための何らかの行動を起こすしかない。このようにブログに思いのたけを書き綴るのでもいいし、twitterで社会や世界を変えるための発言をつぶやき続けるだけでもいいだろう。それを見た誰かに何らかの影響を及ぼすかもしれない。そしてそのような実践を先取りして実行に移してしまった時点で、やはり東浩紀という批評家は偉い。個人的には『思想地図β』の内容には不満もあるのだけれど、そんな不満を通り越して、この言論誌を発行し、2万部流通させた彼の行動力に賛辞を送りたい。そして、内容への不満は、僕がこれから別の媒体で自分自身の発信を行っていくことで解消するしかないだろう。


僕自身も友人が創った『Art Critique』というインディーズ雑誌に寄稿し、彼の活動を応援している。もちろん『Art Critique』は今のところ規模的に『思想地図』と並ぶべくもないが、その内容においては負けていない部分もあると思う(それはもちろん僕の力ではなくて友人の力によるもの)。勝手な思い込みかもしれないが、そのように思い込めるような発信を自分たち(の身近な人)が行っているという事実は大きい。このような状況が新しく言論・批評界隈を変えていけば、これまでになかった面白い展開が待ち受けているのではないか、と個人的にはとても楽しみにしている。普通に考えれば、人文系の未来なんて絶望的なの状態なのだけれど、下を向いて文句ばかり言っていても仕方がない。前を向いて、せめても自分たちで必死にあがいてみるしかないではないか。そうしてあがいてみせるなかで、意外に明るい展望が見えてくるかもしれない。少なくとも東浩紀と『思想地図β』はその可能性を実演してみせた。現代に生きる我々もその後に続くほかはあるまい。