書評:山田昌弘『ワーキングプア時代』

ワーキングプア時代

ワーキングプア時代


 日本で「ワーキングプア」という言葉が有名になったのは、2006年7月にNHKワーキングプアに関する特集が放送されたことをきっかけとしてであった。そこでは、真面目に働いているにもかかわらずぎりぎりの生活を強いられる人々の姿が紹介され、大きな反響を呼び、続編も作られた。

 近代資本主義社会は、職に就いて真面目に働きさえすれば人並みの生活が送れることを保証することによって成り立ってきた。つまり、「働けないがゆえの貧困」は存在しても、「働きながらも貧しい」ワーキングプアは存在しないことを前提に社会が設計され、社会保障をはじめとした諸制度が運営されてきた。しかし、近年、先進国で広まってきているのは、「職に就いて真面目に働いていても人並みの生活ができる収入が得られない」人々が増大しているという事実である。これを社会学者のジグムント・バウマンニュープアと呼んでいる(『新しい貧困』)。


 NHKの特集で紹介された人々も、働くことができなくて生活が苦しいのではない。ましてや、努力せずさぼっているから収入が低いのではない。仕事が減り続ける仕立て屋さん、過当競争で収入が激減したタクシー運転手、ネットカフェで寝泊まりする日雇い派遣の若者。彼らは、一生懸命その人なりに働いているにもかかかわらず、人並みの生活ができない状態に置かれた人々なのである。

 バウマンが述べるように、ワーキングプアに代表される「新しい貧困」は、従来理解されてきた貧困(オールドプア)とはいくつかの点で質的に異なっている。従来型の貧困では、様々な理由で働けない人々がその中心にいた。例えば、失業などで職を失った人、病気などで働けない人、幼い子供を抱えるためにフルタイムの就労が難しい母子家庭、無年金の高齢者世帯などである。そこで従来の貧困対策は、生活保護などで働けない人々に対する福祉、および失業対策など就労支援の問題に還元することができた(このことは、もちろん従来型の貧困対策が十分になされてきたということではなく、また従来型の貧困がもはやなくなったということでもない。ただニュープアの出現によってオールドプアの意味も変容してきているとはいえる)


 いま、起こっているのは、フルタイムで働いていたり、その機会や能力がある人、および、彼らの扶養家族であっても、生活苦に陥る人々が出てきたという事態である。それゆえ、新しい貧困は「職に就けばなんとかなる」という就労支援に還元することができないし、将来働くことさえできれば貧困から脱出できるという「希望」を貧困状態に陥っている人々から奪う。このことが筆者のいう希望格差社会へとつながるのである。

 またこの状況は国の社会保障・福祉システムにも影響を及ぼさざるをえない。先にも述べたように、従来の社会保障・福祉制度は、職に就いて真面目に働きさえすれば人並みの生活が送れることを前提として設計・運営されてきた。しかし、フルタイムで働いても貧困状態から抜け出せないというワーキングプアが出現した現在では、従来型の社会保障・福祉制度では、それに対応できないことは明白である。
 例えば、生活保護では、フルタイム就労すれば保護費の支給は原則打ち切りとなる。ときには、就労の意志があるだけで受給辞退を迫られることもある。その対応は、労働需要が旺盛で、仕事を選り好みしなければ人並みの生活ができるだけの収入が得らえれた時代の名残なのである。フルタイムで働いても生活保護支給額と金額が大差ない仕事にしか就けなければ就労意欲は低下するだろう。


 伝統的な社会保障・福祉制度は、学校を卒業したら全員が安定した職に就くことができ、結婚し、子どもを持つことを前提としてきた。つまり、全員がサラリーマン主婦型家族か自営業家族というモデル家族を形成できることを前提にしてきた。これらのモデルを標準として、生涯にわたって「人並みの生活」を送れるようにする社会保障制度を作り、不幸にも、そのモデルから外れた人に対しては、社会福祉で最低限の生活を扶助することを原則としてきた。

 しかし、いま起きているのは、モデル家族を外れる人がどんどん増えているにもかかわらず、そのような人が生涯にわたって「人並みの生活」を送れるような社会保障制度が整っていないという事態である。つまり、モデル家族を離れた人は、自助努力で人並みの生活を作らざるをえず、最低限の生活に落ちるまでは行政の支援は受けられない仕組みになっている。


 このように現行の社会制度・福祉制度は、現在起きている「ワーキングプア」の出現と増大、およびライフコースの多様化と不確実化に対応できていない、まさに穴だらけの制度なのである。社会保障・福祉制度が穴だらけであることが、社会保障・福祉制度への信頼性を失わせ、人々の生活不安を増大させているのだ。筆者は、上記のようなニュープアの実態とそれをカバーできない社会保障制度の穴の実例を多く紹介している。フリーター、パラサイト・シングル(筆者の造語)、専業主婦、高齢者、高学歴ワーキングプア、母子家庭などなどである。
 
 そのうえで筆者は、(1)ワーキングプアの出現と(2)ライフコースの不確実化という二つの事態に対応する新たな社会保障制度のあり方を提案する。一言でいえば、筆者が提案する新たな社会保障とは、ベーシック・インカム(資力調査なしの現金給付システム)である。貯金があっても、援助してくれる人がいても、生活保護基準を多少超えるレベルで働いている人でも、最低限の生活が可能で、また努力すれば最低基準以上の生活ができるような現金給付システムを構築すべきである、と筆者はいう。これをセーフティーネットとしてうまく構築すれば、従来、生活保護雇用保険最低賃金などに分立していたセーフティーネットが不要になるのである。


 さらに筆者は、年金マイレージ制度、親保険、一人暮らし若者給付など独自の社会保障制度を多く提案している。個人的にそのすべてのアイデアに賛成というわけではないが、現行の社会保障制度が(1)ワーキングプアの出現と(2)ライフコースの不確実化という現実に対応できておらず、新しい社会保障制度の構築が必要だという筆者の主張には強く共感する。
 
 ここでも問題になるのは、「何が正しい答えかは既に分かっている。問題はそれをどうやって実現するのか」ということであろう。筆者のような社会学者の方に多く政府の委員会に入ってもらい、適切な処方箋を提唱してもらうことがそのひとつの方途だ。もうひとつは、一般の人々への啓蒙活動だろう。ニュープアワーキングプア)出現の実態と構造、そしてそれに対応した新しい社会保障制度・福祉制度を構築することの必要性を広く訴えていくしかない。まずは問題の所在とその本質的な意味を分かりやすく解説し、認識を広めていくこと。そこからしか始まらないのだろうと「希望」を込めて思う。



「希望格差」を超えて 新平等社会 (文春文庫)

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