子ども手当は「バラマキ」か?

最近は「バラマキだ!」と言われて、すこぶる評判の悪い子ども手当ですが、1年4ヶ月前の選挙では結構多くの人が子ども手当に賛成していたはずで、あのときに子ども手当を支持していた多くの人たちは一体どこへ行ってしまったんでしょう?僕は今でも子ども手当、賛成の側なんですが。ただしお金の給付じゃなくてバウチャー制とか現物給付の方がなお良いのではと思います(後述)。


子ども手当に関する民主党の一番の問題は、その理念をきちんと説明していないことだと思います。子ども手当の理念は「子どもは各家庭の責任で育てるのではなくて、社会全体で育てる」ということです。つまり、子どもが産まれてから成人するまでは、どのような家庭環境に生まれた人でも最低限度の生存権と教育を受ける権利を保障されているべきだ、という理念です。このような理念は主にヨーロッパで共有され、フランス・ドイツ・イギリス・北欧諸国などでは、日本とは比べものにならない割合で、子育てに公的給付がなされています。*1



子育てに対する公的給付のGDPに占める割合は、日本が0.8%であるのに対し、スゥエーデンでは3.21%、イギリスでは3.19%、フランスでは3.00%であり、日本は(アメリカを除いた)先進諸国に大きく劣っている。その結果が出生率の低下に大きくつながっていると言われています。2009年時点の日本の出生率が1.37であるのに対し、フランスの出生率は1.99、イギリスは1.90、スゥエーデンは1.88です(アメリカの出生率が高いのは移民が多いから)。*2



いっぽうで日本は高齢者向けの公的給付は非常に手厚い。日本の高齢者向け公的支出の対GDP比は8.0%で、家族・子どもむけ公的支出の約10倍です。これは他の先進諸国にも引けを取らない数字。最近よく言われるけど、これは高齢層と若年層の投票率の差に起因する問題です。政治家は、あまり選挙に行かない若年層よりも、投票率の高い高齢層に向いた政策を行いやすい。その結果が、家族・子どもむけと高齢層向けの公的支出割合の大きなギャップを呼んでいるのです。*3



民主党子ども手当は、このような現状を受けて、出生率を上げ、子どもを育てやすい環境にするために、もう少し家族・子どもむけの公的支出を増やそう、という意図のもとに構想されたものです。さらにその背景には、各家庭に任せておけば子どもがちゃんと育つ、という期待を持ちにくくなるケースが増えてきた、ということがあります。最近では育児放棄や虐待、また家計の困窮などの理由から、子育ては各家庭に任せておけばよい、という合意形成が困難になってきた。そこで、せめて子どもが生まれてから成人するまでは社会全体で責任を持とう、成人までの生存権と教育を受ける権利は、基本的人権として誰もが享受すべきものだから、という方向への転換が起こったのです。


このような転換じたいはまったく正当なものだと僕は思います。「成熟社会」日本が進むべき正しい方向(波頭亮『成熟社会日本の進路』)です。問題はそのような理念を民主党がまったく説明できていないこと。以上のような説明がほとんどなしで、ただ子どものいる家庭にはお金をあげますよ、という話になっているので、それはバラマキじゃないのか?という疑問の声があがるのも当然です。民主党には国家戦略のビジョンがない、とよく言われますが、本当はそうではない、と僕は考えています。少なくとも元々はビジョンがあったはず、ただそのビジョンや理念を国民に伝える努力をしていない、ということが問題です。ビジョンや理念抜きの給付に反対が起こるのは当然で、今こそ民主党がきちんとそれを説明すべきときです。財源を確保するために、所得制限をかけるか、給付額を変更するか、増税するか、という二次的な議論ばかりをしていてもいっこうに国民の支持は得られないでしょう。


成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

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もし本当に国家を良くするためのビジョンや理念があって、そのためにはこういう政策が必要で、それを実施するためにこれだけの財源が必要なんだ、ということを熱く語れるリーダーがいたら、一定の国民は必ずその支出に合意するでしょう。問題はそのような情熱を持ったリーダーもビジョンや理念を国民に分かりやすく伝えようとする政治家も、今の民主党にはいないということです。大変残念なことですが。政策の方向性とその背後にある(はずの)ビジョンや理念は間違っていない、というのが僕の考えです。菅総理は最近では国民への説明力を高めていく、と言っていますが、残念ながらまだ今のところその試みがうまくいっているとは思えません(先日のビデオニュース・ドットコムへの出演を見ても)。これからその方針がうまく機能すると良いのですが。


また最初に述べたように、子ども手当は現金給付ではなく教育バウチャーまたは現物給付のほうが良いと思います。藤沢数希さんはブログの中で、期限付きの教育バウチャーを給付することを提案しておられます。公教育を大幅に自由化、民営化するという方針には個人的に反対ですが、現金給付ではなくバウチャー制にして子ども手当を支給する、という点には大賛成です。むしろ、これだけ教育バウチャー制のほうが良いのではないか、という提言が出ているにも関わらず、民主党がいっこうにバウチャー制を検討しようとしない背後には、何か教育関係者や財界からの圧力があるのか?と疑いたくもなってしまいます。


また、子ども手当反対の意見としてよく聞かれるのが、子ども手当はほとんど貯金に回っているので効果がない、というものですが(藤沢さんもそのように述べられていますが)、その反論は実はあまり意味がないように思います。子ども手当の目的は子育ての補助・出生率の向上であって、景気対策ではありません。子育てや出産は長期的なスパンの中で行われるものです。子ども手当として給付されたお金がすぐに消費されなければならないという法はありません。たとえ貯金に回っていても、それが長期的な家計の備えになっているのであれば全く問題ありません。


「そんなお金は親のパチンコ代に回されるだけだ」という批判もよく聞かれますが(これも藤沢さんが述べられていることですが)、これもナンセンスです。一体どれだけの家庭がそのような使い方をしていると本気で考えているのか。子どもを育てる親を完全に馬鹿にした下品な批判だと思います。内閣府の調査によれば*4、「希望する子ども手当の使い道」(複数回答)は「子どもの将来のための貯蓄」が一位で(62.4%)、「子どもの習い事などの費用」が二位(33.0%)、「日常の生活費に補てん」が三位(26.5%)です。「子どもの将来のための貯蓄」であれば、子育て給付金の理念にかなっています。一体何が問題なのでしょうか?ちなみに「子どものためとは限定しない貯蓄」は11.9%で七位、「家族の遊興費」は11.1%で八位です。



ですから実際にパチンコなどの娯楽に子ども手当を使っている親はおそらく数パーセント程度です。圧倒的多数はあくまで「子育て・教育」のために(長期的に見れば)子ども手当を使うと回答しています。また、仮に子ども手当の一部を親が趣味のパチンコに使ったとしてもそれがそんなに非難されるようなことでしょうか?趣味・娯楽・気晴らしは人それぞれです。もし子ども手当の一部でパチンコをしたり、友人とご飯を食べに出かけたりすることで、毎日子育てで疲れている親御さんたちの気分転換に少しでも役立つなら、そういう使い道もアリではないでしょうか?人のお金の使い道にあれこれと文句をつけるのは、個人の自由を軽視するもので下賎な詮索です。


子ども手当政策に必要とされているのは「理念の語り直し」です。子育てを個々の家庭に任せるのではなく、社会全体で責任をもつということ。生まれてから成人するまでの生存権と教育を受ける権利は、誰にも等しく保障されるべきであるということ。これらの理念の語り直しと説得なくしては、子ども手当が単なるバラマキだと批判される状況はけっして変わらないでしょう。確かに、理念なき子ども手当給付は単なるバラマキです。そこにしっかりとした理念とビジョンを埋め込むことこそがいまの民主党に求められていることです。民主党に関して批判すべきは、その政策内容ではなく、政策のビジョンを国民に熱く語りかけることのできる政治家がいないことです。