読書メモ:『帝国の条件』(2)

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

(承前)

ここから橋本はネグリ=ハートの『<帝国>』を引きながら、独自の「自生化主義」を提唱する。

橋本のいう「自生化主義」とは、「全能感と内在性の社会秩序を助成・促進するような政策の理念」のことである。個々人の潜在可能性を全面的に開花させ、内在性に基づく秩序を促進させること。これが橋本が目標とする「自生化主義」の在り方である。


橋本は、善き帝国の担い手はネグリ/ハートの『帝国』が描く<マルチチュード>の理想に近づく、という。ネグリ/ハートによれば<マルチチュード>とは「資本の支配の下で働くすべての人々」であり、その大半は「非物質的労働」に携わる人々である。また<マルチチュード>は、国家の規律訓練権力(主体化=服従化)を拒否するとともに、画一的で同質的な労働力提供を拒否する存在である。


橋本は、ネグリ/ハートのいう<マルチチュード>を「新たな資本の論理を駆動させる担い手であり、フロンティア精神をもった企業家である」と解釈する(この点は橋本独自の解釈が入った読みであると思われる)。橋本によれば、<マルチチュード>の理念に合致するのは例えば、ロバート・ライシュのいう「シンボリック・アナリスト」や、デイビッド・ブルックスのいう「ボボス(ブルジョアボヘミアンBourgeois Bohemian)」などの「フロンティア精神をもった企業家」たちである。


「シンボリック・アナリスト」や「ボボス」たちは、一つの会社に留まって安定的な生活を送ることを理想とするのではなく、「自分から最大のものを引き出すこと、つまり、精神的に満足でき、社会的に建設的で、実験的に多様で、感情において豊かで、自尊心が高められ、絶えず挑戦的で、永遠に啓発的な仕事を自分に与えること」を理想とするなかで仕事をしている。


このような「フロンティア精神をもった企業家」たちは、まさにネオリベラリズムが理想とする主体であろう。それゆえ橋本は、ネオリベラリズムの流れに抗うのではなく、むしろネオリベラリズムの流れに棹さすことによって、個々人の潜在可能性を全面的に開花させる、という戦略をとる。その理想的な担い手とされるのが「シンボリック・アナリスト」や「ボボス」たちのような「フロンティア精神をもった企業家」である(ネグリ/ハートのいう<マルチチュード>とこれらの企業家精神の持ち主を同一視することには問題点もあると思われるが、ここでは省略する)。


さらに橋本は、「ネオリベラリズムをいっそう加速させる」ために、「内在的秩序の促進」を掲げる。橋本によれば、政治・経済・文化などにおける超越的な権威や支配に対する対抗理念としての「内在」は、各個人のさまざまなポテンシャルを高める契機であると同時に、その高揚によって支配の流動化と水平化を促進する。
ネグリ/ハートによれば、こうした「内在性」の作用は「近代の第一モード」でもあり、これに対して安定化と垂直化を促す「超越性」の作用は「近代の第二モード」であるという。近代の超越的権力の揺らぎが指摘されるなかで、「近代の第一モード」=内在性の論理を取り戻すことが、<マルチチュード>を活性化させるための有効な戦略であると橋本は考える。


内在性の理念は、各存在の潜在的次元をエンパワメントすることを求めており、これは換言すれば、「全能感希求の相互活性化」という理念へ向かうだろう。ここに「潜在可能性の全面開花」と「内在的秩序の促進」が結びつくのである。


(つづく)