リフレ論争を止揚(アウフヘーベン)する。

リフレ賛成派・反対派、双方の意見を読んでいて分かったこと。


リフレに賛成か反対かを分けるのは、現在のデフレを(1)「不況の影響によるもの」と見るか、(2)「グローバル化の影響によるもの」と見るか、という視点の違いであるということ。(1)がリフレ賛成派、(2)がリフレ反対派の立場ですね。


(1)は典型的なマクロ経済学(=ケインズ経済学)のセオリーにのっとっています。
つまり、景気が悪くなる→消費・投資が冷え込む→需要曲線が左へシフト→物価が下がる→デフレ!
というシナリオですね。


(2)は「要素価格均等化」のセオリーにのっとっています。
「要素価格均等化」とは、生産技術が同じであるなら、生産物が自由貿易されることによって貿易できない地価や賃金のような生産要素価格も国際価格に均等化していく、という定理です。
近年、中国やインドなど新興国の台頭によって安価な労働力が大量にグローバル経済に出現し、さらに通信技術(IT)の発展によって、安価な労働力が国境を越えて利用されやすくなった。これによって、かつては非現実的と考えられていた「要素価格均等化」が強力に作用するようになり、その結果として諸製品のコモディティ化が進み、価格競争→値下がりを招いている。
つまり、グローバル化→既製品のコモディティ化→価格競争激化→値下がり→デフレ!
というシナリオですね。


ここで(1)の立場にたてば、不景気の結果としてデフレが進んでるんだから、日本政府と日銀が協力してリフレ政策を採り、デフレを退治して景気の回復を後押しすべし!という主張になります(勝間和代飯田泰之、矢野浩一らの立場)。


逆に(2)の立場にたてば、デフレは短期的な不況の結果ではなく、長期的なグローバル化の趨勢の結果である、ゆえに対処療法的なリフレ政策などに意味はない!という主張になります(池田信夫、藤沢数希、堀江貴文らの立場)。


(1)と(2)の対立は、かつての「良いデフレ」「悪いデフレ」の対立に似ています。
(1)はデフレ=不況=悪と見る「悪いデフレ」の立場、
(2)はデフレ=グローバル化=良と見る「良いデフレ」の立場ですね。


さらに(1)と(2)の対立は、ニューケインジアンネオリベラリズム新古典派)の対立にも近接的です。
(1)は不況に対しては「とりあえず財政出動&金融緩和!」を唱える立場であり、
(2)は不況に対して対処療法的な財政出動&金融緩和を批判し、「抜本的な構造改革」を唱える立場です。
すなわち、(1)は需要サイドを重視する立場、(2)は供給サイドを重視する立場に近い。


もちろんこのような二分法はかなり単純化されたもので、本来はもっと厳密な議論が必要でしょう。
たとえば今回のリフレ賛成派のなかにも構造改革賛成派の人は多くいるでしょうし(というかほとんどがそうでしょう)、逆のことがリフレ反対派にもいえます。

さらに飯田泰之氏が『経済成長って何で必要なんだろう?』のなかでも述べているように、ニューケインジアンネオリベラリズムの立場は必ずしも矛盾するものではありません。それは「病気のときは薬を飲む」(需要サイド重視)か「健康なときは筋トレをする」(供給サイド重視)という違いであって、患者の症状が異なれば処方箋も異なるように、ニューケインジアンネオリベラリズムが提唱する処方箋(景気対策構造改革か?)が異なるのは、相手にする患者の症状(景気循環的不況か社会構造的不況か?)が異なるためであるから、双方の主張は必ずしも矛盾しない、ということになります。


そして、そもそものデフレの原因についても、現在の日本のデフレは(1)「不況の影響」と(2)「グローバル化の影響」、両方が同時に作用していると見るのが妥当でしょう。分類しておけば、(1)は短期の影響(景気の循環)、(2)は長期の影響(世界経済の変化)であるといえるでしょう。


なので、リフレ賛成派・反対派どちらの意見が正しいのか?と問われれば、どちらの意見もそれなりに正しい、というごく平凡な結論に行きつくのではないかと思います。
しかし、それではあまりにつまらない結論なので、もう一歩踏み込んで個人的な考えを書いておくと、(2)リフレ反対派の意見も十分に勘案したうえで、僕は(1)リフレ賛成派の立場にたちたいと思います。

より正確にいえば僕の立場は飯田泰之氏の考えに最も近く、1.リフレ政策を行って日本経済のデフレギャップを埋め、人々の消費意欲・投資意欲・雇用意欲を高めつつ、2.同時に長期的な構造改革にも取り組むべし、というやり方が一番いいのではないかと思います。


飯田氏が主張しておられるように、十分な財政出動+金融緩和+セーフティネット整備がない状態で、構造改革だけを進めようとすれば、セーフティネットからこぼれ落ちて貧困が増大し、社会的な怨念を高める結果となることは目に見えているからです。


リフレ賛成派の立場は必ずしも構造改革派の立場を否定するものではありません。リフレ政策は構造改革の前提条件、というのが本来的なリフレ派の立場です。リフレ反対派の人々は「デフレ脱却のみで不況が解決するような言い方はおかしい」とリフレ賛成派を批判しますが、この批判内容自体はたしかに正しい。デフレですべてが解決する、と考えているような単純リフレ派の人がいればそれはたしかに批判されるべきでしょう。


しかし、勝間氏も飯田氏もそのような単純リフレ派の立場ではないはず。
両者とも、リフレ政策と同時に徹底的な構造改革を進め、日本経済の生産性・効率性を上げるべし、と考えているはずです。
そうだとすれば、ニューケインジアンネオリベラリズムの立場が必ずしも矛盾しないように、リフレ賛成派とリフレ反対派の立場も必ずしも矛盾しない可能性があるのではないでしょうか。
無益な論争はほどほどにして、双方の主張の長所を生かすような「第三の道」をさぐるべきときに来ているように思われます。



<参考>
◆複雑な問題に簡単な答はない(池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51308005.html

◆潜在成長率と景気対策の余地(飯田泰之blog)
http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20091110#p1

◆反反反デフレFAQ(anti_deflation@wiki
http://www31.atwiki.jp/anti_deflation/pages/14.html

◆反デフレ政策FAQ中のFAQ(anti_deflation@wiki
http://www31.atwiki.jp/anti_deflation/