書評:『成熟日本への進路』

いろいろと参考になる数値・データが多かったので、自分用のメモのためにもやや詳しめにまとめてみます。書評というよりほとんど要約ですが。


成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)


本書の議論の前提は、戦後50年間続いた「成長フェーズ」を終えて、日本が今や国家としての「成熟フェーズ」に入った、という認識である。そのことは、?GDPの成熟(この?年間日本のGDPはほとんど成長していない)と?成長因子の消失(a.労働人口と労働時間の現象、b.貯蓄率の低下、c.労働生産性の停滞)という二つの要素から確認できる。問題は、日本が「成熟フェーズ」に入ったにもかかわらず、そのフェーズにあった国家ヴィジョンを提示・実践できず、いまだに「成長フェーズ」に適した政策が提案・運営されていることである。これまでの日本は、高度経済成長モデルと呼ぶべき国家ヴィジョンと政策によって経済水準の向上を図り、国民に豊かな生活を提供してきた。しかし、「成長フェーズ」を終えた現在の日本は、これまでの高度経済成長モデルではもはや国民に対して安心・安全で豊かな生活を提供するという国家の使命を果たせなくなっている。


↓日本のGDP推移 ここ20年でほとんど増加していない。



内閣府が毎年行っている「国民生活に対する世論調査」を見ると、世相の推移に対する国民の生活実感が如実に表れている。例えば、「お宅の生活は、これから先どうなっていくと思いますか?」という問いに対する答えは、85年には「良くなっていく」と答えた人の割合が24.4%、「悪くなっていく」と答えた人の割合が13.7%だったのに比べて、2005年には「良くなっていく」が8.4%、「悪くなっていく」が26.7%と完全にその比率が逆転してしまっている。また「あなたは日頃の生活の中で、悩みや不安を感じていますか?」という問いに対しても、85年には「不安を感じている」と答えた人が50.7%であったのに対して、「感じていない」と答えた人は47.6%とほぼ拮抗していた。しかし2005年の調査では「不安を感じている」人が66.4%、「感じていない」人が32.1%と、不安を感じている人の方が2倍に達した。



内閣府「国民生活に対する世論調査」(平成17年度)より http://p.tl/2EQY







さらに同調査は、そうした生活実感を背景にして、「政府はどのようなことに力をいれるべきか」という質問も行っているが、その答えはこれからの日本が進むべき道を明確に示していると筆者はいう。2008年時点で、国民が政治に望むこととしては「医療・年金等の社会保障構造改革が72.8%でダントツの一位であり、「社会保障」がこれから日本社会における圧倒的な関心事であり、最も強く求められていることが分かる。さらに2008年の同調査では、景気対策や物価問題、雇用問題等を抑えて「高齢社会対策」が57.2%で二位であった。現在の日本は、65歳以上の高齢者の割合が23%と既に世界一の超高齢化社会であるが、今後も高齢化の度合いは益々加速していき、10年後の2020年には高齢者の割合が約3割に達すると言われている。社会の高齢化が進むということは、働ける人の数が減少する面と、高齢者に対する医療・福祉の費用が増加するという面の両面から、社会の負担が重くなることを意味している。したがって、社会の成熟と高齢化に対して的確な対策を急いで講じない限り、安心で豊かな社会を維持することはできなくなってしまうのである。



内閣府「国民生活に対する世論調査」(平成20年度版)より↓ http://p.tl/_yA8





また、成長の止まったフェーズの社会では慢性的低成長経済となり、失業者や貧困者も増加していくことが予想される。現在の日本の格差はジニ係数で見ると0.314(OECD調査)と比較的小さいが、これは我が国に大金持ちがほとんどいないためにジニ係数が低く抑えられているのであり、実際には貧困者の割合はかなり高い。その国の平均年収の半分以下の収入しか得ていない階層を「相対的貧困者」というが、日本の相対的貧困者率は14.9%にも達していて、OECD30ヶ国中ワースト4位である。しかも貧困者数は、現在の経済状況の下ではさらに増加していく可能性が高い。



ジニ係数の国際比較 日本国内の格差は比較的小さい(北欧諸国には劣る)





相対的貧困率の国際比較 日本の相対的貧困率OECD国中ワースト4位(年々悪化している)





こうした状況と今後の経済予測を合わせて考えると、これからの日本の国家的テーマとしては、高齢者を含む社会的弱者に対する対応策が極めて重要になることは明らかである。そこで筆者は、今後の日本が提供すべきサービスとは端的に「国民全体に、医・食・住を保障すること」であるとする。人が生活の中で最も深刻な不安を感じるのは、食べることの不安、住むことの不安、病気になった場合の不安、そして老いて介護が必要になった場合の不安である。もし失業しても,病気になっても、食べることと住むことと病院にかかることが国民全体に保障されていたならば、どれほど安心して生活することができるだろうか、と筆者はいう。医・食・住が国家によって保障されるようになれば、人はこの国で安心して生まれ、育ち、働き、老後を送ることができるようになる。「国民全員に医・食・住を保障すること」が、国民が不安なく前向きな生活を営み、活力ある社会を運営するために何よりも有効であると考えれば、このサービスこそがこれからの時代に求められる公共財であり、新しいタイプの社会インフラであるということになるだろう。


医・食・住を保障するという社会インフラへの投資は、これまで行ってきた道路やダムといった産業インフラへの投資よりも、成熟型国家においては投資効果、国民の満足度ともに明らかに大きいはずである。経済成長を通して国民の生活を豊かにするという方法論が有効性を失ったいま、日本が新しく指向すべきは国民の誰もが安心して人生を送れるような生活保障の社会インフラを整備することであり、それは具体的には国民全体に医・食・住を保障することである。以上が本書の基本的な主張である。

 筆者によれば,このように「国民全員に、医・食・住を保障すること」は財政的には十分可能である。詳しい試算の記述は省くが、筆者の資産によれば、毎年4.8兆円の財源の手当てさえつければ、現行の医療サービスはタダで受けられることになる。同様に、介護費用を全額公的負担で賄うために追加的に必要な財源は約6000億円である。すると、国民の最大の不安の種である医療と介護を完全無料化するために追加的に必要となるコストは約5.4兆円であるということになる。


 さらに貧困者に対する生活保護費としては、もし8.6兆円あればすべての相対的貧困者世帯に約10万円ずつ生活保護を支給することが可能である。もちろん10万円の支給ですべての支出が賄えるわけではないであろうが、これによって少なくとも最低限の生存維持と安心を保障することはできるであろう。また別の計算方法によれば、現在の生活保護予算は約2.6兆円にすぎないため、生活保護対象世帯の約2割しかカバー出来ていないが、もし10.4兆円の追加予算があればカバー率を100%にすることが可能である。


生活保護世帯の増加


 よって、医療・介護費用を完全無料化するコスト(約5.4兆円)と生活保護を十全に機能させるためのコスト(約10.4兆円)を合わせて、約15.4兆円をかければ「国民全員に、医・食・住を保障すること」は可能になる。ただし医療・介護費を完全無料化するとなれば、現行よりも利用量が増えることは確実である。そこで仮に利用量が2割増えると仮定して計算すれば、追加的コストは約13.5兆円にまで膨らみ、生活保護の追加コスト(約10.4兆円)を合わせると、約24兆円にまで必要コストは増加する。しかし筆者は、約24兆円で全国民の安心・安全が保障できるならばそれは安いコストであるし、財政的にも捻出可能である、と言い切る。


 筆者によれば、日本の国民税負担率(39%)をドイツ(52%)やイギリス(49%)並みにまで引き上げることによって、その予算を捻出することは十分に可能になるという。国民負担率とは、家計と企業が得ている所得のうち税や社会保障として国家に納める金額の割合を示すものである。ちなみに日本の国民負担率(39%)は先進国の中ではアメリカ(35%)に次いで下から二番目の水準である。成熟化社会に向けて国民生活をより安心なものにするためには社会保障を手厚くしていくことが不可欠であるが、そのためには国民負担率のアップは避けては通れない課題である。例えばイギリス並みの国民負担率(49%)では、日本の国民負担率は約10%アップになり、フランス並み(62%)であれば、20%アップということになる。


↓国民税負担率の国際比較



 そこで筆者は以下の三つを財源アップのアイデアとして示す。


1、消費財
 先進国における消費税率は今や15〜20%が主流である。例えば先進五ヶ国の例でみると、フランス19.6%、ドイツ19%、イギリス17.5%となっており、国民負担率が日本より低いアメリアですら8.875%(ニューヨーク州)である。成熟化社会を迎えて福祉対策の財源を確保するためには、景気の波の影響を受けやすい所得税よりも安定した税収を見込める消費財は格好の財源であり、今後わが国の財政を考えるうえで消費税率の10%程度のアップは当然考えなければならない選択肢である、というのが筆者の考えだ。ちなみに消費税率10%アップによって追加的に確保できる財源は約22兆円になる。これだけで先ほどの医療と介護を無料にし、生活保護のカバー率を100%にするための24兆円という追加コストはほとんど賄えることになる。ただし消費税にはいわゆる「逆進性」の問題がある。つまり、消費税は高額所得者に対しても低所得者に対しても同率で課税されるために、低所得者のほうが相対的に負担感が大きくなってしまうという性質である。



2、金融資産課税
 筆者の考えでは、消費税がもつ逆進性のデメリットを解消するのに累進課税を復活させたり、贅沢品や奢侈品に対して多く課税する方法は好ましくない。そこで筆者が提案するのは、資産課税を上げることによって消費税のもつ累進性を緩和する方法である。一般に高所得者層は多くの資産を保有しているものだからである。ここで資産課税の対象には、土地だけでなく金融資産も含めることが望ましい。仮に土地に対する課税である固定資産税と同率の1.4%を資産課税率として設定すれば、個人金融資産1400兆円から徴収される税額は年間約20兆円にのぼる。もし税率1.0%と低めに設定しても14兆円の税収である。さらに金融資産課税は、人々がただ貯めこんでおいたお金を使おうとするインセンティブを与えるという意味でも効果的であることが期待される。


3、相続税
 さらにもうひとつ、大きな財源となりえるのは相続税である。現在も相続税の制度はあるものの、様々な免税措置があるために実際に相続税を支払う人はたった4%に過ぎず、しかも実際の実効税率は12%ほどと言われている。日本人の個人資産は土地が約765兆円、金融資産が約1400兆円と、合計すると2165兆円にも及ぶのにもかかわらず、相続税による税収額は毎年わずか1.5兆円程度と個人資産の0.07%でしかない。もし仮に、相続負担者のカバー率と実効税率を上げて遺産額の50%を相続税として徴収することができれば、毎年の遺産額は金融資産18兆円、不動産10兆円なので、税収として毎年14兆円を見込むことができる上に、階層固定化の解消にも役立つであろう。さらに、相続税率のアップは高齢者の消費の促進にもつながるので、経済の活性化効果も期待することができる。


 以上、三つの増税によって「国民の誰もが医・食・住を保障される社会」を作るための財源(年間24兆円)を賄うことは可能である。仮に増税幅を低く見積もった場合の資産として、消費税率10%アップ、金融資産課税0.5%、相続税の実効税率20%とした場合には、合計33兆円の税収アップになる。この場合の国民負担率は48.7%となり、イギリス(48%)並の水準である。



 ここまでは筆者の主な主張をまとめてきましたが、以下は本書に対する自分なりの感想・批判をまとめてみます。
 個人的には本書の基本的なスタンス(日本は成長フェーズから成熟フェーズに入った、これからの日本が目ざすべき国家ヴィジョンは「国民の誰もが医・食・住を保障される社会」)には賛成です。ただ、いくつかの点で違和感・疑問点ものこりました。


1、「国民の誰もが医・食・住を保障される社会」を実現するにしても、医療や介護を完全無料化する必要はあるのか。例えばイギリスでは医療が無料化されていますが、その反面、すぐに治療を受けることができない、医療の質が高いとは言えない、といった問題点があることも指摘されています。

イギリス型<豊かさ>の真実 (講談社現代新書)

イギリス型<豊かさ>の真実 (講談社現代新書)

誰もが安心して医療・介護を受けるためには、医療・介護を完全無料化することよりも、低所得の人々が最低限の収入を得られるような社会制度を作ることが先決ではないかと感じました(筆者はベーシック・インカムの導入なども提唱している)。


2、格差を是正するための増税手段として筆者は累進課税率の引き上げをあっさり否定しているが本当にそうなのか。累進課税率はこの20数年間で段階的に引き下げられてきました(下図参照)。昭和61年には所得税累進課税率は15段階に分けられ、最高税率は70%(年収8000万円以上)であったものが、現行では4段階で最高税率が40%(年収1800万円以上)です。飯田泰之氏はこの最高税率をドイツやフランス並に50%くらいには上げても良いのではないかと提案しています(『経済成長って何で必要なんだろう』)。僕もそう思います。


累進課税率の推移


累進課税率の国際比較 ※日本の税率構成は少し古いもの


3、「国民の誰もが医・食・住を保障される社会」という国家ヴィジョンには賛成できるとして、最大の問題は「ではそれをどうやって実現するのか」。本書で掲げられているヴィジョンは民主党が掲げているヴィジョンとほとんど一致している。「コンクリートからヒトへ」「最小不幸社会」「強い経済・強い財政・強い社会保障の実現」などのスローガンは本書の主張と合致する。問題は、民主党がそういったヴィジョンを掲げているにもかかわらず、さっぱり国民の支持を得られず、そのヴィジョンが実現されるという期待を我々が持てないことにあります。

 その原因はおそらく、民主党政権の政策運営力のなさということもさることながら、多くの国民が以上のような筆者のヴィジョンに賛同しない、という点にあるのでしょう。筆者が挙げている例として、The Pew Global Attitude Project "What the World Thinks in 2007"という調査の中で、「自力で生きていけない人達を国や政府が助けるべきだ」という考え方に対して「そうは思わない」と答えた人の割合が日本では38%にも達していたという。同じ質問に対して、自己責任論があれほど強いとされるアメリカでもその割合は28%。同じくイギリスでは8%、フランス8%、ドイツ7%、中国9%、インド8%、と多くの国では10%未満であり、日本は世界でも最も弱者に厳しい国、という結論が導かれていたそうです。
 筆者は「このような調査結果が事実だとは信じたくない、私は日本人の寛容性を信じる」と書いていますが、はたしてどうなのか。実際に日本が世界で最も弱者に厳しい国であるとすれば、問題は深刻です。上記のような(僕にとっては非常に真っ当なものと思える)主張が日本では簡単には通らないということになります。世界では当たり前とされている、「自力で生きていけない人達を国や政府が助けるべきだ」感覚を育てることから我々は始めなければならないのでしょうか。そうだとすれば理想への道のりはかなり遠いものになりそうですね。

 とりあえずは、このような真っ当なヴィジョンを(的確なデータに基づいて)掲げ、その必要性を主張する政治家に多く出てきてもらいたいものですが。僕も筆者同様、日本が弱者に対して寛容な社会となることを信じています。